『GODZILLA 決戦機動増殖都市』感想・雑感 ネタバレ含

 『GODZILLA 決戦機動増殖都市』および前作『GODZILLA 怪獣惑星』のネタバレ要素あり

 

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『GODZILLA 決戦機動増殖都市』特報

 

■概要

21世紀初頭、人類はゴジラに蹂躙された地球に多くの人命を残し、選ばれし者達だけで恒星間移民船・アラトラム号に乗って移住可能な「約束の地=タウ星e」を目指した。しかし計画は失敗し、人類は再び地球へと舞い戻ることになってしまう。そして、長距離亜空間航行によって生じた時空の歪みは、人類が戻るべき場所を「二万年後の地球」に変えてしまっていた。その地球で主人公・ハルオたちはゴジラの攻撃を受けながら、20年間考え続けた「対ゴジラ戦術」をエクシフとビルサルド、2種族の異星人と共に実行し、決死の戦闘でゴジラを倒すことに成功する。

しかし、喜びも束の間、地中深くから真のゴジラゴジラ・アース>が姿を現す。二万年もの間成長を続け生き永らえ、体高300メートル、質量10万トンを超える姿へと進化した超巨大ゴジラの圧倒的な破壊力を前に、ハルオたちは散り散りになってしまう。

そしてハルオを救ったのは、人類の生き残りと目される「フツア」の民、ミアナだった。フツアはこの地球で初めて出会った人型の生命種族である。彼らは人類の子孫なのか―――。「フツアの神もゴジラに破れ、今は卵を残すのみ。挑むもの、抗うもの、すべて炎に呑まれて消える」という彼らにハルオは、「これは、人類の手に地球を取り戻す、最後のチャンスなんだ」と語り返す。

 

一方、ビルサルドの指揮官・ガルグは、フツアの持つ矢じりが“自律思考金属体=ナノメタル”でできている事に気がつき歓喜する。それは、21世紀に彼らが富士山麓で「対ゴジラ決戦兵器」として開発するも、起動寸前で破壊された<メカゴジラ>を構成するものと同じ物質であり、その開発プラントが今もなお、残っている証だった―――。

 

 

■アニメゴジラの意義

GODZILLA ゴジラ』(2014、通称ギャレゴジ)と『シン・ゴジラ』(2016)がおそらく多くの人にとって未だ記憶に新しいなかで、ゴジラ・ブランドをアニメにする意味・意義とは何だったのだろうか。つまり、実写表現ではなくアニメ表現でしか出来ないゴジラ映画はあるのだろうか。

  ひとつは2万年の経過というスケールのサイエンスフィクションだろうか。2万年を経た「ゴジラに適応した地球」(正確にはゴジラが進化の歴史さえ覆し、たった2万年で大きく変化した地球というべきか)を始めとするSF的要素が密度を増すほどアニメとの親和性は高くなる。だから、ゴジラを扱ってSFアニメを作ろうという戦略のもとにアニゴジ三部作があるのだと推測する。実際、脚本や構成のところでスタッフロールに名を連ねるのは特にSFで実績を残してきた人たちだ。やはりそれこそが、現在アニメというジャンルで表現可能な面白さということなんだろう。ここまでは、前作からの継続性といえる。

 

■アニメにおけて「ゴジラ」を再構築、「ゴジラ」という現象

   全三部シリーズの二部にあたる今作では、"自立思考金属体"ナノメタルの発見によってゴジラ・アースの前に絶望し尽くしたハルオ一行が再び地球奪還を目指す。凍結されたと思った預金口座がいつの間にか復活していてしかも2万年分の利息がついていたみたいな唐突さだったが、とにかくナノメタル、すなわちメカゴジラとの際会が彼らの運命を決定的に変えていった。

   ゴジラ討伐に向け、すくなくとも前作の段階では種族の枠組みを越え、人類の叡智を結集させていたにみえたハルオ一行だったが、メカゴジラはそこにあった埋め難い決定的なギャップを顕在化させた。

 ビルサルトのガルグ曰く「我々ヒト型種族こそが、ゴジラと呼ばれるに至らなくてはならん。」。人智を超えたゴジラを倒すには人であることを逸脱しなければ不可能だと主張し、肉体と魂を捨て、ナノメタルに吸収・一体化することさえ合理的であるとした。一方エクシフのメトフィエスはそれを成し遂げたとしてナノメタルという新たなゴジラを君臨させることにほかならないと説く。

 そうしたゴジラ討伐への認識・フィロソフィーのギャップ、そこから生まれた葛藤や苦悩は大きな見所だった。ハルオは結局それを人類の敗北であり、ゴジラ支配の継続だとしてメカゴジラによるゴジラ討伐を断念、再びゴジラ・アースの前に大敗北を喫する。

 こうした一連の作劇から「ゴジラ」に怪獣一個体の名称を逸脱した、「ゴジラ」によって引き起こされるあらゆる現象を幅広く包括した意味合いを持たせる意図を感じた。それは、たとえば人類の敗北であったり、ゴジラ化した地球であったり、メカゴジラ・シティというスケールの新たなゴジラの発生であったりする。つまり、アニメゴジラにおける「ゴジラ」の意味するところは「ゴジラ」という名の現象なのではなかろうか。そしてこの「ゴジラ」再構築こそが、アニメゴジラ三部作そのものの意義のひとつではないか

 

 

 

・ひとりごと

ビルサルトが脱落し、これまでの叡智の結集の道は絶たれた。三作目への期待としては、フツアに残された神の卵や、メトフィエス(そもそも彼自体だいぶ胡散臭い)の言う「絶対的な破壊の力」(名前は言ってはいけない)、そもそも残り一作で収まるのか、どう収めるんだとかいろいろ目が離せないわけである。

 

ちなみにギャレゴジがgyao!でみられるとか

gyao.yahoo.co.jp