るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 追憶編 (1999年) -感想・雑感

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十字傷

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るろうに剣心 追憶編 [Blu-ray]

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 不朽の名作という言葉がある。普通エンターテイメントというのはその時代のためにあるものだ。未来を想定することなんかしないしまず不可能だろう。だから普通は時代を経るごとにその価値は色あせていく。端的に言えば古くなっていく。どんなに優れた作家であろうと「1000年後も読み継がれる物語を書こう!」とか意気込んだりしないはず。けれどそんななかでも偶然か必然か時代を超えて普遍的な価値を保ち続ける作品が存在する。

  『るろうに剣心 追憶編』(以下『追憶編』)は自分のなかでまさにその不朽の名作と言えるアニメだ。『追憶編』と出合ったのは少なくとも6年以上は前だと思う、とあるケーブルテレビ局でとある大晦日に放送された"るろうに剣心OVA特番"的な番組を視聴したときだった。元々『るろうに剣心』のTVアニメ版の影響でコミックスを揃えるくらいにはファンだったが、その前日譚をあるゆるアプローチから昇華させた『追憶編』初見の衝撃は今でも忘れられない。そんな思い出深い『追憶編』について少し振り返ってみようと思う。

 

概要 

<追憶編あらすじ>

心が人斬りとなり、そして不殺の誓いを立てるまでの運命の物語。

幼い心太は野盗の襲撃のさなか、飛天御剣流の継承者・比古清十郎と出会った。彼は心太に「剣心」の名と、「人の夜のために振るう剣術」である飛天御剣流を授ける。

しかし数年後、剣心は京都で血みどろの刀を振るう「人斬り抜刀斎」となっていた。

ある雨の夜の死闘で、彼は一人の美しい女性と出会う。名前は巴。

彼女との出会いが、剣心を大きく変えていくことになる…。

 

 

徹底したリアリティが支えた、「時代を懸命に生きる者」たちのリアリティ

 『追憶編』における継続性・統一性ひとつとしては、リアリティの追求が挙げられる。剣心の師・比古清十郎曰く「荒んだ時代」としての生々しく残酷な一面から、その一方で美しく移ろぐ四季に至るまで、そこに一切の誇張無く幕末期の京都および大津という舞台が徹底的なリアリティでオーガナイズされている。

  だが真に特筆すべきはリアルな舞台・表現が徹底されているという点ではない。ただリアルなだけではなく、このリアリティを礎にすることでもう一つのリアリティを実現していることだ。それは、比古曰く「時代を懸命に生きた」人々のドラマである。本作品では、純粋な少年でありながら「人斬り抜刀斎」に成り果て殺人を繰り返す主人公剣心、新時代のため人斬りとして剣心を登用した桂小五郎、見聞役の飯塚、あるいは闇乃武の長といったキャラクターまでもがいわゆる記号的配置を逸脱し、確かにその時代に生きる「業深き者」として成立している。誰もが「荒んだ時代を懸命に生きていたに過ぎない」。これは茫漠としたフィクショナルな「幕末」では成立し得なかっただろう。

  この二つのリアリティが完璧といって良いほどに合致しているのが『追憶編』を不朽の名作たらしめる要因のひとつだろう。また、こうしたリアリティという説得力が、洗練された台詞ともあいまって、表情や所作あるいは風景などによる巧みな心情描写をより効果的にしていく。それらはまさに「宿業」と呼べるものでなかろうか。

 

強烈な"白梅香"がもたらすプルースト効果

 ここまで『追憶編』は徹底的にリアリティでオーガナイズされていると言ってきたが、それ自体に関しておそらく異論の余地はないだろう。しかし、こと白梅香に関しては例外である。たとえば、剣心と飯塚が市中で会話するシーンでは大通りの向こうにいた巴をさして2人が感じた白梅香の主を「あの女だな」と断定したり、剣心と巴が出合うシーンでは雨中にも関わらず剣心が白梅香を感じた演出がある。白梅香とはラフレシアの如き強烈な臭いなのかよ!という話である(当然違う)。では、徹底的だったはずのリアルを逸脱した白梅香の意味とは一体なんであるか。

 剣心が白梅香を知っていたのは、まだ剣心が幼名・心太だった頃に出会った娼婦たちが白梅香を漂わせていたからだ。「生きて心太…私の分まで」と言い、襲ってきた野盗から彼を守るために彼女たちは目の前で殺されていった。本来は彼自身が守りたかったはずの、白梅香の香りがいまだ残っていたであろう彼女たちの亡骸を自らの手で埋葬していった。つまり剣心にとって白梅香とは、そうした心太時代の強烈な記憶そのものなのだと思う。プルースト効果である。

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 そんな白梅香を漂わせる雪代巴に出合い、彼女に惹かれていったのは剣心にとってまさに運命的だった。巴と出合い、成り行きとはいえ夫婦として暮らすことによって剣心にとっての白梅香の意味は変質してゆく。あるいは上書きされていったとも言えるだろうか。満身創痍の剣心と闇乃武の長とが対峙し、そこへ巴が割って入るクライマックスシーンで、剣心が白梅香によって思い起こすのは、彼がはじめて見出すことのできた「幸せ」のなかで聞いてきた巴の言葉たちだった(巴役の岩男潤子さんのなんと名演なことか!)のだから。この瞬間までは剣心にとって白梅香は幸せを意味する香りだったのだ。なお、このシーンでは明確に梅の香りを示す演出はないが、視覚・聴覚を奪われた剣心が残された嗅覚で白梅香を感じ取ったのは必定だ。

 しかし同時に巴は死んでしまう。またしても、守りたかった女性が、逆に剣心を救うことで死んでいった。この瞬間を境に、これまで変遷を辿ってきた彼にとっての白梅香のもつ意味は、心太時代のあの記憶に回帰し、あるいは吻合してゆく。その一瞬、まるで転送されたのか如く心太が掘ったあの墓場へ呼び戻される(そこにあったのは十字架に架かった巴の手巾)。そしてラストシーンはご存知の通り、一面に十字架が並ぶなかでの「お前は今から剣心と名乗れ!」である。

 

 

ひとりごと

 白梅香のほか、もう一つフィクショナルな要素といえるのが「呪いの籠った刀傷」だ。『追憶編』最大の意義は剣心の十字傷のストーリーに必然性をもたらしたことだ。さらに言えば、十字傷の由来という逆説的なものではなく、一筋目の傷は清里の意志によって、それに引き寄せられたかのように巴の意志によって二筋目の傷が頬に刻まれたという『追憶編』の結果として、十字傷を必然的に生み出した。しかも、第四幕『十字傷』での巴の一連の行動に関する心理の解釈は、視聴者の裁量に委ねられている(委ねすぎるのも×)点が本当に素晴らしい。「分からぬな、おなごというもの…。」に尽きる。

 少し考察くさくなってしまったが、白梅香について自分なりに解説してみた。また何か書き足すかもしれない