『熱帯魚は雪に焦がれる』萩埜まこと -既刊②感想・雑感

ネタバレ注意

 

 

熱帯魚は雪に焦がれる1 (電撃コミックスNEXT)

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 概要

 都会の高校から、海辺の田舎町にある七浜高校へ転校してきた小夏は、周囲にうまくなじめずにいた。そんなとき、七浜高校水族館部のひとり部員である小雪と出会う。小雪は周囲から高嶺の花と思われており、そのイメージ通り振る舞うことに、少し寂しさと息苦しさを感じていた。異なる孤独を抱えて、お互い惹かれたふたりは――?

 

 

  ゆったりとした時間が、流れている

 小夏はこの海沿いの街に転校して以来いまだ周囲に馴染めていない。と、あらすじで紹介されている。転校初日に会話したのが隣の席の楓だけだったという描写はあったものの、特に小夏自身に抱えるコミュニケーションの問題点もこれといって見当たらないし、具体的に「馴染めていない」ことを裏付ける描写も見当たらないから最初は違和感を持った。

  だが、「時間の経過」に注目することで小夏が周囲に馴染めていないであろうことを裏付けできる。というのも、小夏にとって二度目の、水族館部員として初めての一般公開が4話にして訪れる。一般公開は月に一度の催しだと説明されているから、小夏がこの街に来て一ヶ月の月日が経ったことになる。つまり小夏には転校一ヶ月で(認識できる範囲では)、小雪と楓以外に友達はおろか知り合いと呼べる同級生もほぼいないのである。ここでひとついえるのは、彼女たちが出会って一ヶ月という月日がいつの間にか経過していて、空白の日常が間違いなくあったということだろう。

  また6話の青島編では彼女たちがケータイで連絡先の交換をするわけだが、つまりそれまで(すくなくとも出会って一ヶ月以上は)連絡先の交換すらしていなかったことになる。こうした、「時間の経過」という事実に目を向けると、一見彼女たちには目まぐるしい変化や展開が訪れているようで、実際は我々読者が覗くことのできない空白の日常を過ごしていることに気づく。彼女たちのリレーションシップ(関係性)の構築はゆっくりと時間をかけて行われている。これは楓の小夏に対してのアプローチの素早さに比較してより明確に現れている部分ともいえる。

 これは彼女たち(小雪と小夏)の精神性に合致する。互いに互いの存在を大切に扱いたいし、自らを救ってくれた相手に寄り添える者でありたいと願いながらも(願うからこそ)干渉することに慎重になる。そうした感情は必ずしも相互に同質ではないかもしれないが、そうした少女たちなりの繊細で複雑な感情の構造・それらの変化というテーマに真正面から取り組んでいる漫画だと思う。

 

 

なぜ「山椒魚」なのか、あるいは「蛙」であるか

 既刊2巻という情報量のなかで、彼女たちの精神性や感情といったものを仔細に読み取りること(これはそもそも不可能なことかもしれないが)や、今後彼女たちのリレーションシップがどう変質していくか・彼女たちが何を見出していくのか、という予測をしたり現状を解釈することはたいへん難しい。

 そんななかヒントになり得るのが、しきりに登場する1話において引用された井伏鱒二の『山椒魚』における山椒魚と蛙のリレーションシップだと思う。引用には、引き出したテクストは僅かだとしても『山椒魚』そのものを作中で共有し、作品を拡張する機能があると思う。この引用についてのプルースト現象的解釈の是非はともかく、その自由くらいは読者にあるはずだ。

 なぜ小夏は小雪を「山椒魚」と位置づけたのか。そして自身を「蛙」でありたいと願うのか。客観的には小雪を「山椒魚」にたとえるのはかなり奇妙でないかと思った。なぜなら「山椒魚」は岩屋に篭もり閉じ込められた愚か者であり、或いは「蛙」を巻き添えに幽閉した滑稽な存在であまりにネガティブなイメージが支配的だからだ。当然、水生生物であるサンショウウオが水族館部を取り上げているこの漫画に馴染むとか高校生の現代文に登場して違和感のないといった要因もあったかもしれない。

 だがここでは一度「蛙」だけに目を向けるとどうなるか、という発想をしてみる。「蛙」は「山椒魚」と激しい口論を交わし最終的に「山椒魚」を許す唯一の存在だった。さらに言えば誰からも理解されなかった「山椒魚」に寄り添う唯一の存在だった。小雪は高校では高嶺の花として扱われる存在。憧れや理想を抱かれることは理解から最も遠い(ただし彼女の父や弟はそれを気にかけてはいる)。小雪は孤独だったのである。

 だから小夏のいう「蛙になれたらいいのにな」とは、部員一人の水族館部という孤独な岩屋のなかで、或いは高校という集団のなかでやはり孤独な小雪に寄り添う者でありたいということなんだと思う。更に言えば、唯一の、とか小雪が「山椒魚」の如き悪者だったとしても、とかがつく強烈で切実な感情なのかもしれない。

 ちなみに『山椒魚』にはドラマチックさやドラスティックな変化はなかったと思う。しかし一方で淡々とした展開のなかで確かな彩りがあった思う。だからというわけではないが、やはり海沿いのこの街で淡々と日常を過ごし、長い時間をかけて彼女たちにしか認識できないような、僅かでそれでいて切実な変化がこの先に訪れるのではなかろうか。

 

 

ひとりごと

漫画はやはりストーリーだけではなくイラストを買うという要素を多分に含んだエンターテインメントだと思う。そういう意味でも『熱帯魚は雪に焦がれる』は強みをもっている。泣きぼくろの小雪アホ毛の小夏なんて実にキャッチーだ。何を隠そう自分も表紙に一目惚れでなんとなく購入した。ただ女の子たちが非常に可愛く描かれている一方、動物や海洋生物がたくさん出てくる割に描き慣れてないのかなーという印象も。

いずれにしても色んな意味でこれからの漫画だと思う。この先も見守っていきたい。