『リズと青い鳥』ネタバレなし 感想・雑感

 


『リズと青い鳥』本予告 60秒ver.

 

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注意点

・原則<ネタバレなし>とするが、一切の情報を排除して感想を述べるのは不可能である。

それを考慮して

①予告映像から読み取れる情報(メインキャラクター、キャラデザ、キャストetc)はネタバレ要素に含めない

②具体的なシーン・シークエンスに言及しないが、作品から感じた継続的な印象を述べることはする

③「良い」とも「悪い」とも評しない

を設定する。

 

また<ネタバレなし>とした理由を簡単に説明すると、「具体的なシークエンス・ファクターにまで言及し、それらを繋いて文書に纏めあげる自信がなかったし、その作業に必要な情報をキャッチできている自信もなかった」からになる。つまりネタバレなしで書いたほうがマシな文になるだろうと思ったからである。

 だからネタバレありきで語り、作品を深くまで掘り下げたり紐解こうとする人にリスペクトを表明したい。

 

 

リズと青い鳥』は、本を読むようにみる映画

 「『リズと青い鳥』とはどんな映画か?」という問に答えるのは難しい。けっして作品のなかで統一性や特徴が存在していないわけではない。むしろ感じ取れる特徴・情報は多い。多すぎるゆえこの映画を形容する言葉がなかなか見つからないのだ。

 ただ、これから『リズと青い鳥』をみる友人に何か伝えるとしたら「これは能動的な映画だ」だと思う。つまり何かというと映画鑑賞とは一般的に受動的なエンターテイメントといえる(たとえばアクションシーンであったり、ドラスティックな変化であったり、ドラマチックに何かを達成すること、明確なクライマックス。スクリーンに映るそれらやシアターの音響が生む迫力に圧倒される。みせられている。だからただみているだけで「感動した!」「おもしろかった!」という満足感を得る。そういうことがよく起こる。)が、『リズと青い鳥』は「読み取ること」つまりは能動的な姿勢を要する。

 それは別にたいして難しい作業ではないし苦痛を伴うものでもない。だがこの映画に対して全く受動的な姿勢ならそれらを見逃す可能性はある。そうしたらきっと「終わったけど何が起こった?物足りない」と感じてしまうだろう。

 「読み取る」という作業はつまり、シークエンスあるいは会話、キャラクターの動作、演出といった要素たちに繋がり・結びつき(伏線の回収ともいえる)を感じ取ること。そうして得られた一種の快感はまさに読書のそれと同質のものだった。

 だから『リズと青い鳥』とは「読書するような映画」だと思う。

 

 

リズと青い鳥』と『響け!ユーフォニアム2』(TVアニメ・劇場版)における傘木希美と鎧塚みぞれは別の存在か

 『リズと青い鳥』は予告映像でわかるとおり明確に傘木希美と鎧塚みぞれとそのリレーションシップ(関係性)のストーリーだ。だから『響け!ユーフォニアム』とはスケールが異なってくる。

 傘木希美と鎧塚みぞれにフォーカスして、あるいはそれ以外を意図的に視野から追い払うことで2人の少女が鮮明に浮かび上がる。そうして見えてくる彼女たちは『響け!ユーフォニアム2』で描かれたキャラクター(たとえば主人公横前久美子の先輩という立場)としての範囲を大きく超えている。傘木希美と鎧塚みぞれというキャラクターという意味では同じだが、捉えている範囲・精度が全く違う。だから『リズと青い鳥』と『響け!ユーフォニアム2』における傘木希美と鎧塚みぞれはそれぞれ異なる存在であると思う。

 『リズと青い鳥』の精度とは本人さえ自覚できるかわからない複雑で切実な感情が鮮明に・リアルに表れている部分にある。2人のリアルな感情とリレーションシップ(その変化)を追求する姿勢はキャラデザ等の違いにも表れていると思う。余談だがアニメ版と比較してリアリティを追求している点において『るろうに剣心』のTVアニメ版とOVAの『追憶編』の関係に近いと思った。

 

 

 

ひとりごと

 見終えるとドっと疲れが湧いてくるような気がした。それは上に主張した読み取る作業を要したからかもしれないし、静かに叫ぶような希美とみぞれの感情に優しく殴られたような衝撃をうけたせいかもしれない。これから平日が続くっていうのにみるんじゃなかったと思った。

 それでも興味深い本ならまた読み直したくなるものである